白山道場師家 南華室

小池心叟老大師(道庵心叟)92才  経歴


・大正3年(1914)11月5日誕生 0才

  南華室小池心叟老師、東京市牛込区天神町79(濟松寺旧塔頭実證院境内貸地)にて誕生。

  俗名 昂(ノボル)


・大正5年(1916)2才

  父の死去により母の実家、島根県松江に行く


・昭和5年(1930)16才

  小学校高等科卒業、島根県南禅寺派枕木山華蔵寺にて得度出家、諱 恵信


・昭和7年(1932)18才

  京都市紫野中学校に編入学


・昭和9年(1934)20才

  京都市紫野中学校卒業、華蔵寺に帰山


・昭和11年(1936)22才

  京都市建仁寺専門道場に掛搭。竹田頴川老師に師事

  頴川老師により俗名(諱)心叟に改名


・昭和18年(1943)29才

  戦争の為、九州佐世保に徴用、後兵役に服す


・昭和20年(1945)31才

  敗戦により復員、建仁僧堂(専門道場)に帰錫。頴川老師遷化、竹田益州老師後任師家となる。

  この時期開山堂参拝後、崖より落ちて大悟す。


・昭和27年(1952)38才

  12月8日(成道会の日)益州老師により印可される。


・昭和28年(1953)39才

  建仁寺塔頭、堆雲軒に住山、悟後の修行通参す


・昭和30年(1955)41才

  東京都文京区白山道場龍雲院に転住す(月桂寺 松尾太年老師のすすめによる)


・昭和31年(1956)42才

  円覚寺派宗会議員となる


・昭和38年(1963)49才

  龍雲院書院庫裏禅堂を再建す


・昭和39年(1964)50才

  白山道場に直心会(禅会)を主催す


・昭和40年(1965)51才

  円覚寺派再住職拝命


・昭和49年(1974)60才

  円覚寺派宗務総長に選任されるも、時の管長 朝比奈宗源老師と意見の相違により3ヶ月余りで

  自ら総長の職を辞す。


・昭和51〜57年(1970〜1982年)62〜68才

  筑波大学非常勤講師(坐禅指導)


・昭和51年(1970)62才

  東京臨済会会長に就任


・昭和53年(1978)64才

  龍雲院本堂兼坐禅堂を再建


・昭和54年(1979)65才

  龍雲院本堂兼坐禅堂落慶法要厳修


・昭和58年(1983)69才

  九州承天寺晋山式出頭


・昭和59〜平成3年(1984〜1991)70〜77才

  朝日カルチャーセンター新宿西口教室講師として坐禅指導、碧巌録提唱。

  4月29日 直弟子 政栄宗禅師(後、白山副住職) 得度式


・昭和60年(1985)71才

  インド仏跡参拝旅行(心叟老師は団長として参加)

  3月 政栄宗禅師 建長寺僧堂へ掛搭する。

  「まあ坐れ」を出版刊行す


・昭和61年(1986)72才

  円覚寺派歴住職拝命

  濟松寺観音堂落慶法要導師を務める。(侍香:横田康岳師(現円覚寺管長 横田南嶺老師))

  直弟子 横田康岳師 得度式

  


・昭和62年(1987)73才 

  直弟子 横田康岳師 大学卒業後、建仁寺僧堂へ掛搭する。


・昭和63年(1988)74才

  円覚寺派月桂寺兼住職就任

  濟松寺晋山式出頭


・平成2年(1990)76才

  濟松寺文奛和尚 密葬導師、津葬奠茶導師を務める

  春、横田康岳師(現円覚寺管長 横田南嶺老師)建仁僧堂より梅林僧堂へ転錫、

  夏に梅林僧堂より白山道場 龍雲院へ帰山。


・平成3年(1991)77才 喜寿

  「南華毒語」出版刊行、横田康岳師が編集に携わる。東京学士会館にて出版記念祝宴を開催。

  春、横田康岳師 円覚寺僧堂へ掛搭。

  夏、直弟子 政栄宗禅師 建長寺僧堂より帰山副住職となる。

  九州承天寺、山門・仏殿落慶法要に出頭。 (政栄宗禅師も加担する)


・平成5年(1993)79才

  第一回直心会中国旅行(団長として参加) 〜北京、大同、雲崗、五台山


・平成7年(1995)81才

  第二回直心会中国旅行(団長)〜上海、西安、敦煌


・平成8年(1996)82才

  東京臨済会中国旅行(団長)〜中国臨済五大山の旅

  4月 副住職結婚式


・平成8年(1996)82才

  「無門関提唱」を出版刊行 

  政栄宗禅師(副住職)、笹倉一広(一橋大学准教授)編集


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