・南天棒中原鄧州老師の妙心寺本山へ提出した宗匠検定法(明治時代)

 

 臨済宗では各僧堂の師家により室内は隠匿される体質があるが、継承の点から後世の公案禅の危機感により全僧堂師家に提案された。竹田黙雷老師等の賛成もあったが、先進的であったこともあり、不都合のある師家に反対され実現されなかった。(明治の時点で各僧堂の室内の多様化は各々相容れないものとなっている)

参考:隠山系の室内

 私が4年半余り在錫した、京都の僧堂は隠山系で、無字、隻手、雑則、無門関、碧巌録、臨済録、葛藤集と幅広く多岐に渡って参究したが、その内容はそれぞれを虫が食うように、あちらこちらをまるでつまみぐいするような参究の仕方であった。公案の数は少なく、白山の老師の(卓州系)室内の数とは雲泥の差があった。


 現今では数年の参歴で法嗣が次々と輩出されている僧堂があるというが、公案の少なさから老師次第で簡単に罷参出来るのは当然であるとはいえる。しかし、私の存じ上げている老師方は15年余りも在錫し、それでも僧堂の老師のもとへ通参されていた。このことを考えると昔と今では同じ僧堂でも室内の価値がガラッと変わってしまったと考えざるを得ない。


公案禅の隠匿体質の負の面が引き起こしている現在の様相は、明治時代に南天棒老師が危惧していた事態となってきている。

 白山の老師の室内は卓州系の建仁僧堂の室内である。

その室内は、建仁僧堂の開単者である竹田黙雷老師が各地の老師に遍参歴叩して参究されたもので、黙雷老師の嗣法の師(梅林僧堂の老師)よりも多いと云われている。

又、白山の老師は嗣法の師(竹田益州老師)から徹底的に室内を参究させられ、他の嗣法の弟子より多くの公案を調べ尽くしていると常々述べておられた。

  

 師家の室内の目安として明治時代、南天棒中原鄧州老師が妙心寺本山へ宗匠検定法なるものを提出して各僧堂の師家方を検定しようとした。反対する師家が多く結局実現できなかったが、検定に賛同した師家の中に黙雷老師もいたという。それは検定法にある室内の内容より更に多い法財を持っている所以であり、白山の老師は其の法を参究されていた。


 私自身も白山の老師から、その検定法にある以上の室内を調べさせて頂いたが、それでも老師の全ての法財を調べ尽くすことは出来なかった。

・小池心叟老師(卓州系)通参にて調べた室内


無門関 第1則 趙州無字

隻手音声(白隠)

雑則

無門関 全則

碧巌録 全則「碧前の頌」「碧後の頌」

臨済録 四十四則

法華十如是(鴆羽集)・汾陽禅師十智同真 ・首山綱宗偈

難透難解

白隠和尚の八難透

葛藤集 全則

洞山良价和尚の五位頌(五位秘訣)

五位拶処 五位の辨(東嶺和尚の評唱(頌))

達磨大師無相心地戒体

十重禁秘曲(十重禁)

十重禁綱宗偈(百八字を以て篇む)

虚堂代別 百則

槐安国語

末后の牢関・最後の一訣(算木を以てさばく)



心叟老師の室内は明治二六年に南天棒より師家に試された宗匠検定法の内容を網羅する内容となっている。(下記参照)

<秋月龍著作集10>より抜粋

 
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